泣くポイントは懐かしさじゃない

星の王子さま」ではみんな泣くのだ。「不思議の国のアリス」で泣けなくては!

 

 

私はジャズをまったく知らない。先日アメーバピグの音楽フロアでマイルズの 'So What' を聴かせて頂いた。このエポックメイキングな "Kind of Blue" を「ちゃんと聴いたのはこれが初めてだった」と白状するのには勇気が要る。

泣けた。「モード・ジャズ」を世に提示するマイルズのドヤ顔が目に浮かんだので。

「ドヤ顔が目に浮かんだ」ことと、だから「泣けた」こととの因果関係の説明は難しい。自分でもよく判らない。

歴史が刷新されてる現場、凄いことが起きてる、でもその提示の手際はクール。

 

私が泣くポイントは「ポエティック(目覚ましさ)」かも知れないな。私は「情」では泣けない。

 

 

実家のカセットテープには吉松隆「マーマレイド回路」もあった。

作曲は1984年。この動画の説明に「1984年5月20日(日)、NHK FM現代の音楽』で放送」とあるから、作曲されて間もない、初放送じゃないか? たぶん実家のカセットも同じ放送のエアチェック

つべには同じ曲の、「NHK FM現代の音楽 日本の電子音楽作品特集(2002年9月15日)』より」と説明のある動画が上がってる(なぜかモノラル):

1984年と2002年の間のどこかで改題されたようだ。

 

今回あるきっかけからこの曲の動画を探して十数年ぶりに聴いたら泣けた。

泣けたのは、曲との十数年ぶりの再会という私の個人的事情による「懐かしさ」のせいではない。

「懐かしい」は作品自体、音楽的内容自体への評価の言葉じゃない。逆にそれらを蔑ろにする言葉だ。

 

 

追記

いまWikipedia「朱鷺によせる哀歌」の項に

〈作曲家の紹介文献で「『朱鷺によせる哀歌』で尾高賞を受賞した」と記述されていることがあるが、事実ではなく、本人も公式サイトで否定している〉

の一文を発見し、狐に抓まれている。

私も尾高賞受賞作と思い込んでた。じゃあそのデマの出処は何なんだ?

 

追記 2020年03月19日

Wiki吉松隆」は、上記の誤った記述のある箇所として、青島広志『作曲家の発想術』(講談社現代新書、2004年)p.263 を挙げている。

いっぽう、1982年に「尾高賞30周年記念N響コンサート」でこの曲が取り上げられ、同年レコード化(1991年に CD 再発)されている。作曲の翌年というタイミング。これが誤認の元かも知れない。

どっちみち私個人の誤認の原因は判らない。