おいしいけど、細くて、極端に長い麺のせいで、食べ方の「お行儀」に影響する。
ほどけず塊になる。
伸縮性があり、引っ張り力で切れない。
次回は、予め2つなり4つなりに割って、作ろう。
きざみ海苔の小袋が透明でないので、袋内に残ったきざみ海苔を目視で確認できないし、じっさい袋内に残りがちだ。
かける段階で手間取りたくないので、次回は、3分間待ってる間に予め小皿に完全に出しておこう。
長いとか引っ張りに強いとかは本来「長所」で、そう作る技術に敬意を払うが、食べる側には迷惑ともなる。
ラーメンの生めんなどでも、途切れず長く作る技術に対して申し訳ないのだけど、予め短く切って使わせて頂くことがある。
技術が作り手の自己満足に陥らないように、という話だが、「食」については以上のように思うけど、「音楽」についてとなると、真逆になる。
私にとって食はいのちのための「手段」だが、音楽は「目的」、いのちそのものだからだ。
音楽においては、聴き手の都合に配慮して作ることは「誠実」ではない。どこまでも作り手の自己を貫いてそのまま提示することが「誠実」だ。
私は聴き手として、音楽家が彼自身であるのを聴きたいのだ。
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