ごく若い頃、「アドリブ」を、「でたらめ」と同義と思ってた。
時間を掛けて作り込んだものが正しいに決まってる、と。
逃げ込める「セオリー」を仕込まず、自らの耳の責任で「場」にじかに関わり、最も相応しい反応を返すこと。
臨機応変、当意即妙、変化を読み、返歌を詠む。
「作曲」以上に鋭い感覚を求められる「アドリブ」。
アドリブは体験、作曲は追体験。
「適当」「いいかげん」は本来どちらも、予めの硬直した基準によっていては見つからない、場に最も「適当」で「加減の良い」解を導く、という積極評価の言葉のはずだ。
今日の空耳。
1'45"~「母ちゃんに言う」cochineal