さいきん、浸って聴く、ということがない。
後先覚えず身も世も無く「いまここ」だけの状態=音楽体験の「本番」であるより、「あとで聴く」ブクマに近いのかも知れない。
もちろん集中して積極的に聴くのだけど、「情報」として「意識」でもって片して、理解し終えたものを順次後ろに追いやる感じ。
曲は短い方が助かる。
大好きな曲を聴いててもどこかシラっとしてて、終わりの時間を気にしてるし、次の曲に半ば意識が移ってる。
聴く側としてだけじゃなく、作るについても、繰返しをやらず、なるべく短く作る。それを聴き手に対する「誠実」と履き違えてる。
じっさい「短い」という評を頂く。短く作ってるものを、マイナス評価として「短い」と言われては立つ瀬がないが、「もっと長く聴いていたい」と思ってもらえてるのだったら、喜ばねばならない。
「実家」と言ったり「叔母の書斎」と言ったりしてますが同じ場所です。子ども時代の、そこでの時間の過ごし方。
ノルマをこなすとかなるべく多くの曲を学んで記憶にストックするとかの意識のない、音楽体験の「本番」だった。
実家の記憶の重要な構成要素のひとつがマイク・オールドフィールドの3枚のLPであるのは、オールドフィールドの音楽の「聴かれ方」がまさに実家での時間の過ごし方そのものだったから、という気がしてきた。
チューブラー・ベルズ、ハージェスト・リッジ、オマドーン。
スタイルを確立した「チューブラー」は偉大で、続く2作はその応用なのかも知れない。
「オマドーン」こそ最も練れてて、これを最高傑作とすることが多いのかも知れない。
でも単純に好きということでいえば、私は「ハージェスト・リッジ」がいちばん好きだ。
MIKE OLDFIELD-Hergest Ridge part1(original mix) by summerstars - ニコニコ動画
MIKE OLDFIELD-Hergest Ridge part1(original mix) - ニコニコビューア
up主さんの動画説明や、寄せられたコメントで知ったのだが、オリジナルのアナログミックスと、CDで聴けるヴァージョンとは大きく違うらしい。CDヴァージョンのほうが音数が少ないようだが、私はまだ聴けてない。
追記(2022年04月30日)始め
その後公式のつべが上がりました。1974年ミックス。
追記終わり
まさに浸りきって聴くための「持続」の音楽、といってもサイケのドローンの音楽と違って、ここには「カデンツ」の明確な意図がある。
曲開始からの主要部分、この魅力的な「持続力」の理由は「ドミナント感」にあると思う。