楽しむ能力

(2015年09月26日、記)

 

 

ピグ4ゲームでの私の基本スタンスは「与えられた条件下で如何に工夫するかにゲーム性を見出し、楽しむ」です。

 

 

スタブロに多いグチコメ(その多くは、システムにケチ付ける前に自分が工夫しろよ、と言いたくなるもの)を見て私が抱く感想は、ウザいとか以前に「不可解」です。

 

報酬をゲットすること自体が目的化して、ゲームを「楽しむ能力」が退化してるように見えます。

もちろん、「ゲットにムキになる」とか「ゲット出来なくて悔しい」とかは、ゲームを進める動機の根幹の一つです。

でもそれが叶わない時、設定に悪態を吐く、というのが解らない。

 

設定が楽になることで報酬ゲット出来て、嬉しいですか?

 

 

仮にシステムとして不備があっても、だからこそ逆に、手懐けて、自分に使いやすいようにカスタマイズする。

せっかく自分なりに構築した手順があったのに、「改善」と称して簡略化されて、楽しむべきプロセスをすっ飛ばす仕様に変わると、がっかりします。

(実際には「改善」点を前提にその先の「楽しみ」を探し始めるわけですが)

 

ユーザーの皆さんの要望で、なるべく手間を省けるように、操作を自動化しろ、みたいなのが時々あるのですが、わたし的には、それはユーザーの楽しみをシステム側に奪われることです。

ゲームするのは私です。

自動化されたシステムで効率的に進捗するとかポイントが入るとか、そこに私がいなくて、なぜ私が楽しいでしょう?

 

 

コミットメントが意識的積極的であることが即ちゲームを楽しくする、と言うに尽きる。

当座の思い通りに行かない事態に脊髄反射でキレて、設定変えろ!と言い出す方々の、その要望を仮に受け入れた先に、より楽しいゲーム像を描けるとは思わないです。

「ホームラン出ねえだろ球場狭くしろ」的なことを仰る方々は、ゲームの側がどう変わっても、ついに「楽しむ」ということがないと思います。