私の中だけの関連②

(2015年12月26日、記。アメブロで書いた「私の中だけの関連①」は David Sylvian 'Pulling Punches' と美尾洋乃「月の果実」についての記事でしたが、はてなに再録しませんでした。

この「②」は

shinkai6501.hatenablog.com

の補足です)

 

 

'The Cinema Show' 後半にあのインスト部が置かれる必然は判る。

メドレーで流れ込む、次の、アルバムラスト曲 'Aisle Of Plenty' で、アルバム冒頭のモティーフが再現される、その効果の為に、その前段として、必要だ。

 

あのインスト部の夢見る飛翔ののち、目覚めると、現実のイングランドの経済状況。

暗くシケたままフェイドアウトし、アルバム全体を終える。

彼国の、1973年当時の状況を、私は知らないが。

飛翔のためにはリフも有効ということはあるだろう。

 

にしてもそれ自体としては、空疎だ。

これが私の中でシュトラウスサロメ」の「七つのヴェールの踊り」と結びついてる。

劇全体の中でクライマックスにあたる箇所に、あの見せ場が置かれるのは当然だが、それ自体としては、なんとかならなかったのか、という。

 

こういうところで人気を得てる一面がある、というのも共通してる。

ジェネシスのファン」という括り、「シュトラウスのファン」という括りが、価値の共有を保証しない。

 

がっかりついでに、ベートーヴェン交響曲第5番」第4楽章は、最初聴いた時にがっかりし、今もこの楽章にさしかかるとがっかりする。

ハ長調丸出しの、勢いだけの、それまで3つの楽章費やして緻密に積み上げてきたものは何だったの?の空疎。