T.Sasaki「係りあう断片3つのうちの2つ」

(2015年12月29日、記)

 

特に前半(1つ目の断片)が、ぱっと聴き急進的だけど、モードはまたもほぼコンディミに収まる。

なのでキモは「符割」。

音高は、上行か下行か、跳躍か順次か、くらいしか問題にされてなくて、しかもそれは符割と結びついて、というか符割の効果をサポートしてる風。

 

(「リズム」という言葉は誤解を生みやすい。

「ミーター(拍子)」と混同されたり、「リズムパターン」のことだと思われたり、ことにポピュラー音楽では「リズム隊」などという厳密を欠く用語が罷り通ってるので厄介だ。

「符割」でいく。)

 

作曲・打込みの作業で、符割をいかに細分してゆくかの試みにおいて、まずは16分→32分、その3連、などと「音符単位」でエディットしてゆくのだが、そのうちシンコペイションを効果的にするために「クロック単位」でちょっと食うとか遅らせるとか、やりだす。

僅かの差を、どっちがカッコイイか決めるのは、もう純粋に感覚だけによる。

この、「ノリ」に属するレヴェルに1歩踏み入れると、「音符単位のアレンジの効果を際立たせるため」という前提がなし崩しになって、クロック単位で、拍子もビートも関係なくその瞬間瞬間その場に自由に漂う「純粋符割」として、どっちのステップタイムがカッコイイか、感覚だけによって選んでゆく、という世界になってしまう場合がある。

それもアリだけど、全く別の世界。

 

というか、作曲者の意識の上では音符単位の細分とその揺らぎとして厳密に把握されてるのだろうが、聴き手的には「純粋自由符割」としか聴こえない。

 

私がこの曲で一番好きなのは、0分16秒目あたりの、ギター開放で6本の弦を1発ストローク、を模した箇所。

当然コンディミじゃないし、1つの(音組織に沿った)コンセプトで貫くことに気恥ずかしさを覚えて別文脈の(楽器に即した)要素を混入させた、みたいなユーモアが好き。