(2015年11月09日、記)
殆ど無視してた曲。
パッと聴き、もごもごと独り言を言ってるような曲で、ほぼ印象に残ってなかった。
ハープが曲の骨格を作ってるけど、線が細く貧相で、ヴェロシティのエディットに彫琢が無い、という第一印象だった。
ハープって、ダイナミズムの楽器の筈だろ、と。
今回聴き直してみて印象が変わった。
まあ KORG01/WFD のハープの音源の限界もあるのか、線は細いけど、グッと入り込んで聴くと、ヴェロシティは、相当作り込まれてます。
曲としても、いつも通りのこの作曲者の作法(さほう)で、楽想が過剰に盛り込まれてます。
聴き手の積極性を要求する曲だということです。
入り込んで聴くと、印象が大きく変わる。
そもそも、「副産物」というタイトルの由来は何なのか?
以前この曲についていくつか聞かされたエピソードを、集めつきあわせればつきあわせるほど、却って話がとっ散らかって、謎が深まってしまった。
聞かされたのは、
①「パラボラは空に属す」を第1楽章、この「副産物」を第2楽章、「厚地」を第3楽章とする構想の、つまり「ロックナンバー」であること
②「ピュア☆ピュア」DVD の BGM という想定で書いた、つまり日本の原風景の中の少女美に併置せしめるための「メールヒェン」であること
③作業中ずっとお手本としてフォーレが念頭にあったこと
④でもチャイコフスキーもちょっと思い浮かべてたこと
⑤この曲は描写音楽ではないけれども、イメージの縋りどころとして「湖」がひとつ目の前に静まっていたこと(だからチャイコか!)
…真偽、本気と冗談、織り交ぜて、何が何だか。
「3楽章構想」が、タイトルの由来の手掛かりになるかも知れない。
「副産物」に先立つ「主産物」が何なのか。
ひとつ思い当たるのは、創作上・発想上の事情であるより、打込み作業上の事情なのではないか?ということ。
曲を打込むのに、シークエンサの16のトラックに、音色を並べる。
キーボード上には、そのうちのどれか1つのトラックの音色が呼び出されている。
「パラボラ」作曲・打込み中に、そのシークエンスの設定のまま、息抜きに戯れに弾いたものが、主産物「パラボラ」のまさに副産物として、独立したのではないか。
たまたまキーボード上にフルートのトラックが呼び出されてて、それでこの曲の冒頭部分が、手すさびに、生まれたのではないか。
作曲上の、モティーフの関連とかは、一聴、見出せなかった。
生まれた楽想のうち、「パラボラ」に捻じ込めなかったものがスピンアウトした、というべきか。
(2分12秒目からのセクションの、右寄りに定位されたチャイムは、そのまま「厚地」の終わり部分にも使われてます。)
私も経験があるけど、打込み作業にぐんぐん入り込んでゆくと、感覚がどんどん鋭敏になって、和声も符割もアレンジも、なにやら特殊なことになって、ちょっと中座して戻ってくると、さっき自分が打込んだ音楽を、もう自分で理解できない、ということがある。
この曲には、その気を感じる。
パッと聴き印象が薄いが、よくよく聴くと、これこそ最もイっちゃってる曲、成立するかしないかの間際まで行った、危うい曲、かも知れないと思い始めてる。