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思い出、夏、音楽、歌

(2015年7月29日、お題「一番思い出に残ってる夏の歌は?」に沿って)

 

 

このお題に沿ってはわたし的に3つの理由で書くことが不可能ということについて書く。

 

 

①「思い出の曲」を問われるといつも回答に窮する。

ほんとうに、いくら思い出そうとしても、該当する曲が無いのである。

 

「小6でピンクフロイドの『狂気』を聴きプログレ沼に最初の1歩を踏み入れた」は、音楽体験自体の思い出だろうし、とすれば『狂気』が思い出の曲、ということはできる。

 

でも問われてるポイントはそこじゃない気がする。

 

人生の転機とか、印象深いワンシーンとかと、なにがしかの曲が、結び付いて、曲を聴くとシーンを思い出す、みたいな「反射」が、私には皆無なのだ。

皆無だし、そこに価値を置くべきとも思えない。

 

ファーストキスのバックでたまたま山下達郎が流れていたら、それを聴くたびシーンと想いが甦る、みたいなこと。

ここの「山下達郎」の項には他のどんな値も入力可能で、つまり音楽の内容と係わりなく、たまたまハウベンストック-ラマティが流れてたなら、ハウベンさんを聴くたび同じ反射が起きるのだろう。

 

 

②私は「描写音楽」「標題楽」が、嫌いと言うより、解らない。

音楽によって、音楽以外の、視覚的情景や、思想、情緒を「表現」する、ということが、可能なのか?価値があるのか?

 

私は音楽作品はどこまでもそれ自体として純粋であらねばならないと思うし、その結果、曲の構造が世界のモデルになってるみたいなことはあって然るべきで、それを世界の「表現」と呼べるなら、それはありだと思う。

でも、曲の、形とか動きとかと、例えば「夏っぽい雰囲気、情緒」との間にいかなる関数も存在しない。

 

「夏の曲」「夏の歌」が可能とは思わない。

 

 

③まさに、このネタは「曲」ではなく「歌」といっている。

おそらく「歌詞」の内容が夏を歌ってるものが、回答として期待されてるのだろう。

 

私は、歌入りの曲に惹かれる。

私が欲しいのは、音色としての、他のインストパートと同じ比重の「ヴォーカルパート」で、歌入り曲が好きなのに、歌詞の内容は、いつもほぼ全く聴いてない。

 

歌詞の中で夏が歌われてる曲のたいがいは、冬を歌った歌詞にすり替えられたら、そのまま冬の歌として成立するに違いない。

 

「夏の歌」であることは、「夏の音楽」であることではない。そしてそれは私の理解の外にある。