(2015年6月16日、記)
新たな感動を欲してる時に、
①Youtube で未知の曲を探すか、
②昨日聴いてブクマした曲をもう1度聴くか。
同じ曲を聴けば、同じ音が聴こえ、同じ感動が起きるわけではない。
毎回新しい、その時だけの体験だ。
「一回性」は①をも②をも等しく支配する。
つまるところ、CD やブクマで、手許に、いつでも取り出せる状態に置いておくことで、いったい何を繋ぎ止め得ているのか。
感動と思ってるものは本当に感動なのか。
既知の感動の追体験なのではないか。
いま体験してるというより、ここでこの音を聴くとこういう感動が起きる筈、という約束事をなぞって、思い出してるのではないか。
感動してる自分を、一歩引いて見てる、しらじらしい距離感。
リアルタイムの、ライヴの、まさにその只中にいて、「私は今感動している」という意識もない、本当の「感動」を、私は今までそう幾度も体験した気がしない。