Roundabout を聴き直す

(2016年2月04日、記)

 

殊更ここに貼らないが、Yes の 'Roundabout' は、初めて聴いた時から、今に至るまで、判らない曲だ。

プログレのくせに殆ど Em か G で停滞する硬直。

間に合わせの歌メロ。

 

「代表曲」の扱いなのが解せない。

Pink Floyd における 'One Of These Days' の位置。

 

 

というのは私が「作曲」で評価するからで、いま聴き直してみると気付くのは、「演奏」の質の高さ。

 

アコギのイントロから一転ガツン!と来るのは、トゥッティではないのだ。

ドラムとベースとアコギ。

アコギは、ハーモニクスで、トレブル成分と音色を補う役割だから、「ガツン!」の本体はドラムとベースのみ。

ブルーフォード+スクワイアのコンビはやはり有難い、という話。

 

「たった2人でバンドサウンドとして充実」と「きびきびしたグルーヴ」の理由が、ブルーフォードの「1音1音打撃の瞬間にエネルギーを集中させるインパクト」、スクワイアの「あの音色でピック弾き」に加えて、ドラム、ベースとも「ゴーストノート」にあることに改めて気付く。

 

エスというと「ソリストが5人いる」みたいなイメージだけど、ことブルーフォードとスクワイアについては、頭悪い言い方だけど「お互いにものすごく聴き合ってる」感が顕著で、アンサンブルとして鉄壁。

 

 

"Fragile" が決定的名盤という印象はない。

1971年リアルタイムの耳にだって、どう響いたか。

なにしろ前作 "The Yes Album" のオープニング 'Yours Is No Disgrace' があれだ。

トリッキーなシンコペーションインパクトを持って提示されるリフ。

続くシンセの、d - es - f - g - as、たった5音による、教会旋法的に断片的でありつつしかも伸びやかな飛翔と恍惚の主メロはシンフォの美メロの祖形。

その後のモティーフの展開。同じモティーフが出て来るたびアレンジが変わる処理の念入り。

プログレはこう作るもんだ、というお手本、ポエティックな造形。

 

その9か月後の "Fragile"。

いろんな要素が並んでて楽しめるけど、各要素自体は、決め手を欠く。

'Roundabout' に「造形」は無い。

'Heart Of The Sunrise' だけでしょ、練れてるのは。

初期イエスの到達点 "The Yes Album" と、とんでもない所へ行ってしまった "Close To The Edge" 以降のイエスの狭間の、バンドの fragile な状況のレポート。

 

 

アラン・ホワイトはわたし的にプログレ最大の謎。

 

ブルーフォードが叩くと、曲をクリアに見通せる。

座標軸が設定されて、各パートがそこに定位される感じ。

ホワイトが叩くと、もこもこの綯交ぜのマッスになる。

それを私は好まない。

 

まあイエスではブルーフォードと比較され、「イマジン」でのプレイは「ジョンの魂」のリンゴ・スターのソリッドさと比較され、分が悪いのだが、急遽イエスに加入してあの複雑な構成の大曲群に対応した、というだけでも凄いのかも。

 

ドラムがホワイトに替った時、スクワイアはやりづらかったんじゃないか?と私は勝手に想像してたけど、さいきん Going For The One レコーディングセッションの動画を見て、ホワイトの対応力すげえと思った。ちょっと印象変わった。

信頼置かれて長くイエスのドラマーの座にあった理由が判る気がした。

トラックダウン如何で、ホワイトのドラムの印象は、大きく改善される筈なのに、と思う。

 

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