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幻としての猫

(2015年12月28日、記)

 

 

疲れると幻を見る、のではない。

 

アメーバピグで飼ってる猫の、歩調と、移動のスピードが一致しないように見えた。

スリップしてる。

サーバーに負荷が掛かって動作がずれてるのだと思った。

 

じつはこのアニメーションの一致しなさは普段からのものだ。

疲れという負荷が掛かってるのは私の認識の方で、元気な時は、このずれたアニメーションを見ながらも、補正が働いて、自然な歩き方に見えてるのだ。

 

普段は幻を見てると言える。「元気」とは「幻を見る能力」のことで、今は疲れてて、この機制が働いてないのだ。

ものごとを、ありのままにしか見る事が出来ない。

 

 

私は不眠に悩むことは無いが、たまたま臨時にジフェンヒドラミン眠剤を使う機会があった。

効き過ぎて、いったん目覚めた床の中で、頭が重くて、耳元で女性ヴォーカルのリフレインが延々聴こえる。

初期ゼルダか、雲南省の歌垣みたいな。

二度寝の後、より普段に近い耳で聴くと、さっきのリフレインの正体は、どうやら冷蔵庫の作動音だった。

普段はそれを冷蔵庫の音として聴いてるが、眠剤の効き目の残った耳は、まずそれをニュートラルに、概念越しでない音の構造そのものとして聴き、次いでその中から件の女声の成分を抽出していたのだった。

 

普段の耳で音をあるがまま聴くことは難しい。

常識では、ジフェンヒドラミンの耳で聴いた女声の方を幻聴と呼ぶ慣わしなんだろう。

普段の耳が聴いてるのも幻聴で、それと同程度の、もうひとつの幻聴、というのがいちばん正しいのかな?

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