new ears' resolution

(2016年01月02日、記)

 

当ブログの「説明」の「分解能」= resolution はタイトルの「耳を澄ます」を意味的にまんまなぞってるだけですが、耳を澄ます対象ってふつう「微かな音」じゃないのか?

 

取り逃がす危険性があるのでそうしないように、

環境音から、その音以外の成分をノイズ*1として排除し、その音をピックアップし続け、

その音が減衰して完全に聴こえなくなる瞬間に立ち会うために、耳を澄ます。

 

 

轟音に耳を澄ますとは。

 

音楽ジャンルの「ノイズ」に私はまったく明るくありませんが、私の好みの傾向ははっきりしていて、マッスはダメで、構造を持ってて、耳を澄ませば澄ますほど、微細な差異の至福で報いてくれるもの。

 

地下鉄に乗って「ノイズ」の轟音に包まれる時、それを大雑把に「地下鉄の音」と名付けて片付けるのではなく、音そのものに耳を澄まして、どれだけ成分を意識の上にピックアップできるか。

 

「音量的に微か」な音に対してでなくとも、差異があれば、その差異が「微か」であれば、そこに対して耳を澄ます事が出来る。

 

(2016年9月22日付記 「新年の抱負は?」というお題に沿って、new year's resolution をもじったタイトルですが、気付いてもらえなかったのか、つまらなかったのか、その点に触れて下さる方はありませんでした。ちなみに、resolution は、「抱負」の意味では可算名詞、「分解能」の意味では不可算名詞です。)

 

補足的関連記事:

*1:このあと言及する、音楽ジャンルとしての「「ノイズ」」は耳を澄ます対象なので、ここでいう、聴く対象から排除する「ノイズ」(⇔「情報」)とは、耳にとって真逆の存在になってしまいますが。