楽園とは距離のことである

(2015年12月28日、記)

 

 

CD聴くより、戸外に座って環境音に耳を澄ます方が、はるかに豊かで雄大で微細な音楽体験が出来る。

 

音は、長い距離を渡ってくるうちに自然のエフェクトを受けて、

反響し、干渉し、高次倍音を削られ、フェイズシフトを受けて、

間遠くなったり不意に耳元にあったり、うなったり。

 

楽園はどこにあるか。

私を中心に、360°、遠くへ行けば行くほど、楽園の様相を呈する(行けば行くほどといっても、行けばそこは私の「近く」になってしまうから、実際に楽園に到達することは出来ない)。

全ての物音を成分として含んで地平にとよむ混沌。

 

音は、全てを含むバックグラウンドのドローンの中で生まれ、そこから立ち上がり次第に個別の音としての形を取り、鳥の声として、または自動車の音として、私のそばを通り過ぎ、また混沌へと帰ってゆく。

 

神の視点で見れば、音は、ユークリッド空間の中でどの地点を取っても均質に、鳴ってるのだが、その中の一点に身を置く私にとっては、楽園とはすなわち距離のことである。